Trees_of_Spring

2015/9~アメリカの大学院への留学を機にブログ開設しました。2016/6~9サンフランシスコでスタートアップでエンジニア、帰国後、院生活を終えて2018~働いています。個人的なことメイン。何かあればどうぞ→Mail: tut.it.mus1c[あっと]じーめーるどっとこむ

2020年に読んだ本

 

小説・紀行文

昨年は全然旅行に行けなかったので家に籠もって旅気分を紛らわすなど。

アルケミスト 夢を旅した少年/パウロ・コエーリョ

これ系の本では超定番、案外今まで読んだことがなかったので自粛中に。

少年が見たことのないエジプトの夢を何度も見て、羊飼いの仕事を捨ててエジプトへの旅路に出る話。自己啓発書だと言う人もいるけど、個人的には単純に摩訶不思議な世界観の旅小説として楽しく読めた。あぁ、旅行に出たい。

インド酔夢行/田村 隆一

香川にうどんを食べに行った時に古本市でGET。なんてことのないインド旅の随筆。それこそ著者の田村さんは後に有名な詩人になるが、当時無名時代(?)に金が無くて、友人がインド観光局に日本の国宝級詩人だと触れ込んでインド政府に旅代を出して招致してもらったインド無料旅行記。

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マレー蘭印紀行/金子光晴

昭和初年の船旅もの小説。当時のアジアの情景など、今と違っておもしろい。

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一般書

群衆心理(The Crowd)/ギュスターブ・ル・ボン(著)櫻井成夫(訳)

原著は120年ほど前に執筆された心理学書で、個人じゃなくて人が集まって群衆になったときに人の心理に起こる現象だとかを群衆のタイプを切り分けて様々考察している。

人の根っこにある行動原理(?)をとても良く捉えていて、古い本だけど恐ろしいほど今でも通じる部分がある。SNSで起こる現象だとか、コロナ禍での人の不可解な行動だとかを説明できるような考察も多くて、メカラウロコ。自分的には今年読んだ本ではベストな1冊。

今まで読んだ本の中では一番古くて難解で、正直面白いけど読書体力めっちゃ持っていかれた一冊。

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ウォール街のランダム・ウォーカー/バートン・マルキール

今年は貯金で株式投資だとか、信託投資だとか始めたのでその辺の心得として定番な一冊として読んだ。去年読んだ、ジェレミー・シーゲルの株式投資と合わせて鉄板だと思う。

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Being Mortal/ Gawande Atul

洋書の方が安かったのでチャレンジ。インド系アメリカ人医師のGawande先生が、老人の末端ケアをする中でどんな死に方が幸せか書いている。結構その通りで、自分が年をとったらどんな生活がしたいか、親にどんな生活をしてもらいたいか、考える切っ掛けになった。医者の先生だけど結構エッセイチックで読みやすい、但し医療用語の翻訳地獄だった。。

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DIE WITH ZERO/ビル・パーキンス

タイトルは重そうだけど、1日くらいで読める。著者はガンガンお金を使って、幸せな体験をできるだけしていこうぜ、というスタンスで、ケチな自分とは対極な考え方。なかなかこうはできないけど、ケチな人は一回読んで見ると少しは財布の紐がいい方向に緩められるかも。

bookmeter.com

 

プロフェッショナルの条件/P・F・ドラッカー

ドラッカーの入門書としては超定番な奴。確か自分は入っていないけどリーディング大学院の推薦図書だったから昔買っていた。仕事が思うように進まないことがあって、読み始めた。仕事にどう向き合うか金言が多くて、技術者として若いうちに読んでおいて良かったと思える一冊。

 

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オンライン学習でできること、できないこと/千葉大学教育学部附属小学校

コロナ対応で生徒が登校できないなか、地元千葉の小学校でやっていた取り組みについてまとめた一冊。今の学校って様々ICT教育が進んでいるだなーと。

www.meijitosho.co.jp

 

ほか、実用書など

書けばわかる!わが家にぴったりな保険の選び方

保険について勉強してみるのに丁度良い。

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 科学的な適職

転職考えている人にはおすすめ。自分は"やりたい/面白いと思える仕事をやる"派だけど、そうでない選び方を提示していて、転職するなら著者の言い分も踏まえたいと思った。自分は特に転職欲は今は高くないけど。

honto.jp

 「21世紀の資本」完全マスター

本当は読みたい"21世紀の資本"という本が難解なのと高くて買えなかったので、その代わりに解説本。要は資本収益率>経済成長が常に成り立つと言っていて、"働けど働けど我が暮らし楽にならざり"の蟹工船の仕組みを考察している。原著読んでみたい。

honto.jp

動機付け

最近読んだ本から、

 

内発的動機付け:物事に面白さを感じて行動すること

外発的動機付け:報酬を得ること、または罰を回避するために行動すること

 

内的に動機付けられた行動に対して、外的な報酬を与えて過度の正当化が起こると、たとえ報酬が魅力的であっても内発的な動機づけが失われて、その人のやる気を無くしてしまうことがある。

=>アンダーマイニング現象と呼ぶらしい

 

これをサラリーマンである自分に当てはめると、、、

最初は仕事が”楽しい、興味を持っている”と思って取り組んでいたテーマでも、生活するため、お金を稼ぐためと思い仕事を頑張り、良い給料を貰うほど、仕事いこーる生活をするためのものだと割り切っていってしまい、休日は義務が発生しないから勉強もしないし、調べ物とかしなくなる。そんでもって段々と仕事に対する内的なモチベーションが下がってしまう。仕事がつまんなくなってくる。の負の連鎖。

 

あー、これこれ、これだわ感がすごい。

仕事をプライベートと切り分けて、お給料をもらっていると強く意識する方が、純粋な好奇心がなくなって行ってしまうのな。

 

結局は普段取り組んでいるテーマ自体が好奇心擽られるな、おもろいなって思える段階に届かないとだめなのかな。

世間では仕事とプライベートは混ぜるな危険的な対立構図で語られるけど、そうなるにはある程度オフでも知識なりを満たしてやらないとだめなのかなー。

働きます。

ウッス、ご無沙汰ッス、あ僕、ット無事に仕事が決まりました(コミュ障気味に

来年からは神奈川の日系のメーカーの研究所いきます。研究所から歩いて数分の敷地に住むんだけどもラボ畜してこんなコミュ障研究者だけにはなりたくない(´;ω;`)

 

ちょっとだけ具体的には、院で専門だったフレキシブルエレクトロニクス→めちゃくちゃ薄い、曲げたり、伸ばしたりできる回路ができる技術を使って、ウェアラブルデバイスを中心に5, 10年先の新しい体験ができるデバイスを作ってやろうって感じの仕事です。

メーカーだけど具体的な物を作るわけじゃなく、スマホだとかアップルウォッチとか、今当たり前になっているハードウェアの10年先の形を模索するような感じです。

 

研究職だと言うと驚く人も居ますが、僕これでも、小学生の頃にはMYハンダゴテをもってたし、中学校はPSPをゴニョゴニョして一番の友達はパンドラ・バッテリー君でした。大学に入ってからはちょっとだけ外交的になりましたが、去年米国で研究所&ハードウェアスタートアップのダブルパンチ喰らってコーヒーを愛する理系人間として一周回って戻ってきたわけっす。 

 

てなわけで就活シーズンは面白いハードウェアやってる所じゃないと感じられない不感症を患い、一応ES出すけど落ちる、というかESすら書く気が起こらないパターンが多すぎでした。結果一番シーズン的に早かった第一オンシャだけ面接が進んあっという間に就活が終わりました。

 

蓋をあけると僕が面接まで進んだ会社は全部で2社だけでした。幸いもう一社もご縁あったものの、そっちはオジーオズボーンもびっくりの Black sabbath & 高給取り、って感じのところでした。これぞロックンロールなワークスタイルでした。

個人的にはそれでも面白いハードやってると思えたから受けたんですが、社員も週末の楽しさと給与に対するコスパばっかり語るし、最終で人事に「金を持つことは大事なんやで!(関西人でほんとにこんな感じ)」ってめっちゃ諭してくる感じが結構萎えました。

そんな当たり前の事はエリート家系の御曹司として生また僕には、言われないでも金が全てだって分かってますし、やっぱり変に週末豪族するよりかは、楽しいことを週5or6で仕事としてやって、あとはお金を使わないでも楽しめるヤロって思っちゃいました。僕、御曹司なんですが大学からの奨学金6年間分を返済しなきゃいけなくて、そこだけは金銭的に魅力を感じてはいましたが。

 

結局仕事のワクワク度数と将来性を最大化する形で仕事を選びました。安定感とかその他は妥協です。10年くらい働いてその後は日本なり海外なり技術者として活路を見いだせればいいなぁって考えてます。 

 

今日くらいで泣く子も黙る某研究所への留学を終えて1年経ちました。光陰矢の如しで研究やらインターンやら就活やら何やらであっという間でした。誰にも聞かれてませんが、遂に大学院中で10回目の引っ越しを達成しました!自分より引っ越した回数多い奴デテコイヤ。

 

ちょっと前まで都内の激安シェアハウスに住んでましたが、昨年末お台場の意識高い感じの国際寮にRAとして移りました。実物大ガンダムが警備員として雇用されて睨みを効かせている良い建物で、So far, 家賃も10拠点中最安、環境としてもトップランクに入る感じです。

何せご近所さんにジャンキーは居ないし、自分だけの風呂トイレ有るのが最高です。あと、お台場のとても良い東京の夜景が見えて、更に友達のデートに遭遇することがあるのは他にないお台場に住む特典だと言えるでしょう。

今のところ次の引っ越しまでは8ヶ月くらいあって、僕にしてはとても安定感あります。いざ学生最期を楽しもうといった所ですが、夏に昔から興味を持っていたSTeLAとかいうワークショップに参加するためにオランダに行く関係でとても金欠です。その頃ヨーロッパのあたりに居る人、会えればいいな。飲みに行くのも良いですが、良かったら是非宅飲みに来て下さいな(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)きれいなお台場案内しますんで。

 

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近所で一枚@お台場海浜公園

 

日本人留学生が米国でインターンシップを行う最も簡単な方法

僕がアメリカで経験したハードウェアスタートアップでのビザについての纏めです。諸都合上、記事を以下のサイトに寄稿しました。続きは以下のリンクから。

 

日本人留学生が米国でインターンシップを行う最も簡単な方法 | トビタテジャーナル

 

Goodbye Seattle.

今朝、僕は30kg弱のスーツケース2個とバックパックを2つ、前と後ろに背負って、ぶっ壊れそうな肩に力を入れて荷物を運び古びた列車に乗った。その列車はシアトルからアメリカ西海岸を縦断し南はロサンゼルスまでを36時間かけて走る古い鉄道である。値段で言えば飛行機と比べても差して安くない。けれども目的地のサンフランシスコまで約23時間、とろとろと走る車内で去る地の思い出に耽り、新天地での新しい生活を想像するには丁度良い時間にも思えた。
 
実際に乗ってみると結構悪く無い。日本の鉄道と比べると比較にならないほどでかい車内は窓も大きく景色も広いだけでなく、レストランまでも備わっている。シートも足を伸ばしても前に届かないくらいはあっていい感じだ。丁度深夜1時、殆どの乗客が寝静った頃に展望デッキに出てきてみる。なんとも良い静かさだ。暇だからシアトルで考えてたことをまとめてみる。
 
延々と続くような感覚があった留学生活も気が付けば昨日で終わってしまった。
今振り返ってみると、絵に描くような順風満帆な生活ではなく大分研究だとか勉強に時間を取られてしまった。けれども、個人的にはとても濃い9か月だった。
 
原点に戻って留学の志望動機書を見てみると
研究を頑張りたい、専門的な仕事をこなせるように、細かなコミュニケーションが取れるように語学力を身に着ける、アメリカで働くことを考えてみる、、、等々。
 
中々に偉そうなことを書いていた。もちろん嘘を言っていた訳じゃないけども、もっと根底にあったのは海外で暮らしてそこでの生活を考えてみたいって原動力だったきがする。そのうえでの形がそれらの目的だった。それにぼくみたいな貧乏は合理的な理由を言葉にして奨学金を投資してもらう必要もあった。
自分で言うのも何だけれども、こうやって箇条書きで挙げた項目は大方大学の講義なら単位は来る程度にこなせた自負がある。
よしよし、それなりに研究もして英語もそこそこ喋れるようになった。
 
…はて、それで良いものか。何か腑に落ちない。こう考えてしまう。
 
そりゃあ1年もかければ何かしら纏まったことができるし、じゃあ自分が払った代償と得られたものって本当に見合っていたのか。と。
 
具体的には時間と金だ。
 
まずは時間。僕はお陰で1年ほど学生を長くやることになってしまった。留学せずにそのまま大学院に通っていれば今頃あわよくばどこかの会社に入ることになっていて、来年度からは遂に社会人になっていただろう。先日大学の同期が内定したって話をしばしば聞いて、みんなすげぇなと思うと同時に本当に1年遅れるんだと実感が湧いた。
 
そしてお金。奨学金や親から、はたまたアルバイトで稼いだお金。。。出元は何にせよ生きていくには金がかかる。殊に海外では。おそらく僕はアメリカで毎月15万円程度の出費をする生活を9ヶ月ほど続けたし、航空券の代金も考えると軽く100万円以上の出費をしているという事実がある。皮算用ではあるけども、在学延長しなければ大学の学費も浮いて社会人としての収入も1年分得られていたことにもなる。時は金なりって奴だ。
 
さて、これだけ大枚を叩いてアメリカに来る意味があったのか考えてみたい。
 
残念ながら、必ずしも全てにその必要があったかというとそうでも無い気がする。
 
例えばの話だけれども、研究に精を出すとか、語学の勉強をするというのは形は違えど日本でやることもできた。むしろ研究単体で言えば、語学が壁になって意思疎通が難しい場面があったことを考えると、日本で母国語で研究ができる環境でやった方が効率は全然良かったとも言える。
 
その一方でアメリカに来たからこそ得られたものもある。何と言っても自分の母国語が全く通じない環境だとか、自分が外国人として仕事を進めることは日本では得難い。またボスキャリあたりを糸口に、アメリカでの仕事を知って、こっちで働くというオプションを身を以て知れたことも来たからこそだと思う。
 
じゃあもっとアメリカに来る前に研究もしっかりやって勉強もして、語学も身に着けて来れば、費用対効果をあげることができたじゃないか。なんてそんなものは捕らぬ狸の皮算用であって、いくらでも考えることができるし終わったことに対してそれが実現することはない。全部セットでこれが僕の得ることができた最大の費用対効果という訳だ。
 
けれど、ここまでコストだとかそれに対する成果について言っておいてあれだが、実感としてこれらの目に見えるものは留学中に得られたことのなかでの大部分だったかというとそうでもない。
 
個人的な大きな収穫は、自由で外からのノイズが限りなく少ない環境に身を置けたことだ。
 
なんとなく工学系の勉強はしたいと思って入った大学だったけれど、特に目立ってやりたいこともなく何も考えていなかった。そんな自分でさえちゃんと大学の必修科目をそこそこの成績で取って大学院に入って、周りと同じように生活していればなんとなく人生が進んでいる感じがした。そんな僕が1年休学して大学院に留学した当初特に辛かったことは足並みをそろえる対象がいなかったことだ。もともと東工大からワシントン大学への留学は枠が1人しかおらず大学からの同期は居なかったし、留学先の学科全体で見ても僕のような留学生の立場は僕だけだった。それゆえに、僕にはこのくらい単位を取るべきとか、このくらい勉強するべき、または周りはこの位やっているからといういつもの参照するものが全くなかった。これがひどく疲れた。自由って良い表現として使われるけど案外僕(ら)は自由を与えられると困るほどにはレールの上を走っているのだと知った。一度それを外れると時に早すぎたり、時に遅すぎたりとそれをコントロールすることは意外にも難しかった。こんなもんだろうと片づけた宿題の出来が非常に悪かったこともあれば、必要だとおもった実験を徹夜でこなして体調を崩したりだとか、トライアンドエラーを通して自由のなかでうまく自分をコントロールしていった。今では少しは自分で考えて自分の行動を決められるようになった気がする。
 
また今まで生きていて味わうことのなかった様な苦い経験なんかもあって、それに対してたまに休んだりリラックスする時間を設けて自分の中で対処するような習慣もつけられたのは個人的に良いことだった。僕は嵌り込むと休憩するのが苦手なタイプだ。それでも日本では家族とか友達が構ってくれたから自分で限界に達することが無かったからやってこれたのだと思う。
 
そして、日本から遠く離れたところで生活することで良くも悪くもあまり日本のニュースや本来結構な悩みになり得た就活の話題から逸れることができた。僕は典型的な意思が弱い人間なので、人の価値観を鵜呑みにするような節があった。そんなノイズともいえる周りからの情報が消されたお陰でゆっくり自分が今までやってきたことだとかこれから数十年先まで何がしたいのかよく考えることができたし、物事に対して自分で考える時間がよく取れたと思っている。考える材料としてアメリカで色々な人やその価値観に触れられたことはいい機会だった。
所謂企業が求めるとか言われているグローバルだとか多様性だとかいう語彙はこういう考え方を頭の隅に持っていることを言うのだろうか。よくわからないけども、語感だけだととても安く聞こえるし、外向けにそんな言葉で自分の感じたことを成果として安売りしたくないと思う。
 
結局はっきりと目に見える成果なんてものは小さなもので、大きなものは考え方とかいう曖昧なものだった。もちろん留学をサポートしてもらった人たちに形として成果を求められれば研究の話だとか、語学の能力だとか、どうにか言葉にしうるけども、生の体験は到底そんな陳腐な語彙では表せないし自分に言い聞かせる為に言葉にする必要はない位には自分でよく理解できている。(と思っている)
 
結局払った対価に対して得られたものが有効だったかどうかというと、今でも良くわからないのが正直なところだ。もちろん定量的に見れる部分ではそれなりにやったつもりだ。けれども評価しにくい部分で明らかに外に出なければわからなったことはあるし、それは割と大きな気づきだったと思う。考え方に対して値段は付けられないという何とも曖昧な逃げであるけども、それらがきっと後の役に立つことを信じてこの9か月に意義があったとしておこう。
 
何が言いたいのか良くわからなくなってしまったけども、こんな留学だった。研究はブログに書いても詰まらないし、折角なので論文に纏めてどこかのジャーナルに投稿しようと思っているので割愛する。
 
さて、夜も明けて列車も暫くしたら到着しそうだ。ここからもう2か月、カリフォルニアに移って新しい生活を始めることにしよう。
 
June 20th

研究もあと1ヶ月、そろそろ日本に帰りま、、、、、、、、、、、、せん。

ワシントン大学での9ヶ月に及ぶ研究も遂に6月の頭に終了である。

 

当初は遠い先に霞んでいた留学の終わりがすぐそこに感じられる位には近づいていて、最近は研究を進めること、そしてどうやってそれらを終わらせるのかで頭を悩ませていた。

 

こっちで自分が立てたテーマは主に2つあって、ひとつは有機ELディスプレイなんかに使われる材料を開発すること、もう一つは今流行り(?)のグラフェンという材料を使って既存の金が使われている半導体部品の金の部分を置き換えるといったものである。

材料の開発は大してインパクトは無いものの何かしらの新しい発見はあったりし、グラフェンの方はあとは蒸着機という加工装置の調子が悪いことを解決してどうにかものにしたい。といった感じた。

 

まぁ研究の話は置いておいて、つい昨日誕生日を迎えて24になってしまった。

 

地元の”まねきねこ”とかいう安いだけが取り柄のカラオケで

”見えないモノを見ようとして〜♫”

なんて叫んでいた中坊時代が10年前にもなると思うとゾッとする。あの頃の自分に24の自分について問えば、きっと自分はどこかで働いていると答えただろう。実際の将来なんて何も見えてないじゃないか。ふらふらっと24になってしまった気がするけども、この1年は特別に濃い1年だった気がする。1年前といえば、

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丁度表参道の格安シェアハウスを見つけて転がり込んだ頃だ。懐かしい。ここは就活シェアハウスという本当は地方から都内に就活だとかインターンだとかをしに東京に出てくる学生を助けたいとということで始まったシェアハウスである。

就活っ気が微塵もない僕を数ヶ月に渡って泊めてくれたことには感謝感謝である。

 

この1年は表参道での新生活から始まって、研究も新しいテーマでやりつつ、

中国、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、トルコ、アメリカ、カナダ

と割と趣味である海外を見ることを忙しい中を縫うように出来た気がする。 

結構海外好きだよね、って言われる自分だけども流石に8ヶ月ちょっとアメリカに居ると日本がどうしようも無く懐かしくなってくる。決してアメリカが嫌いとかじゃなくて。これだけ帰らないとただただ懐かしい。

 

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6月の梅雨も終わってるのかも分からない頃、大きな荷物を携えて中国の安い経由便にしごかれた末に成田に帰ってくる。寝落ちまいと電車にのって家にたどり着き、なんてことも無い親の手料理を貪る。

白い米といつものおかずが異様に旨く感じられる。。。。

”おかわり”

なんて言って、その間に疲れで寝落ちてしまって、朝気が付くと自分の布団の中にいる。

本当に家に戻ってきたのだろうか、夢では?

時差も相まって寝ぼけながらもそんな事を考えつつ、やはり自分の家に居ることをゆっくりと実感する。そして、落ち着くとまた二度寝を始めるのであった。

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以上妄想。

たまに暇な時は色々な妄想をして一番ドラマチックな帰国パターンを探ったりしている。けれど奇しくもそんな帰国の楽しみは少しばかりお預けになることになった。

 

嬉しいことに、こんな自分を夏の間インターンとして受け入れてくれる会社が見つかったからだ。

 

元から奨学金を応募する際に、留学が終わった後には少しアメリカの会社で働いてみたいと言っていたが、本当にそれが実現するのか正直自分でも怪しかった。元々行こうと思っていたB社にはExport controlという技術流出に関する厳しいアメリカの規制につっかかり話が無くなってしまったし、かじりかけの林檎を世界に出荷しているA社とは5回ほど面接があった末にチャラになってしまった。

その他諸々、挑戦しては惨敗して消沈していた訳だが、ふとした出会いから自分の大学のOBの方に出会い、嬉しいことにとあるスタートアップの企業を紹介して頂き、数度の面接の末にインターンとして受け入れてもらうことになった。

www.xconomy.com

詳しくはここに書いてあるが、MIT発の技術を使って無線充電のパイオニア的システムを作って、世の中の充電ケーブルを無くしてしまおうという僕らでもかなり魅力的に思える製品を世に送り出そうとしているハードウェアスタートアップだ。(よく見る充電パッドの上に携帯を置くタイプではなくて、一定の距離圏ならばwifiのように勝手に充電されるという優れものである。考えただけでも未来を感じる技術だ。)

 

自分が今まで経験してきた座学や基礎研究とは対局とも言える、スタートアップの風潮だとかスピード感のある開発を本場のシリコンバレー(のちょいと北の辺り)で関われるのは又とないチャンスだと感じている。面接ではポット出の自分がMITの博士まで出た絵に描いたような優秀なエンジニアに分からない質問を飛ばされまくり、自分の知識には甚だ心配ではあるが、それでもどうにかかじりつくであろう新しい生活を楽しみにしている。

 

ということで、留学が終わりかけてた自分にもう一度喝を入れることになった。

 

10年前の自分は大学院に進んでいるなんて思わなかったし、

数年前の自分は大学院の勉強をストップして留学してるなんて思わなかった、

2ヶ月前の自分ですらシアトルからシリコンバレーに移って就労するなんて思いもしなかった。

ちょっと先の未来なんて見えないもんだ。

 

だから予定は予定に過ぎない、けれども航空券の類はそれなりに予定を進める軸足になる。6/10に研究が終わり、6/20からカリフォルニアに居ます。8月末まで働いて、9月の1週目には中国経由で日本に帰る予定です。

”シアトルのコーヒーが欲しかったわ、グーグルのキーホルダーなんぞ要らんわ!!”

なんて言われてもカリフォルニアに行ってからじゃ遅いっすよ。

 

残り1ヶ月半、シアトルの人はよろしく。カリフォルニアの人たち、会いましょう。日本の人たち、帰国するその辺開けておいてくれると嬉しいっす。

 

以下適当に最近の写真。

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Vancuver: Capilano suspension bridge,

B4の時の研究室の先輩がやってきたので、バンクーバーまで遊びに。

 

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アメリカ式誕生日パーティー開いてもらった。

こうやって見るとアメリカでも沢山友達出来た様に見えるけど、否、である。

アメリカ式ではちょいちょい友達の友達(初対面の人)がやって来るのだ。せっかくだからこのうち何人が初対面だったかは言わないでおく。

写真にするとなんとも友達多い奴に見えるから良いもんである笑

 

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なんてことない写真だけども、これ50 年前位に日本で製造されたVivitar Series1ってレンズで撮ってます。なかなかぱりっとした描写をしてません?アメリカにはgoodwillという寄付式でNPOの中古屋があって使わなくなった寄付物品を破格で売っています。お店の性質上、古いレンズみたいなものは結構な数が安く取引されていて、休日に回ってガラクタを集めるのが自分の中で流行っています。嘗て日本人が手作業で丹精込めて作ったフィルムレンズにアメリカで出会うとなんとも言えない縁を感じて、つい手が出てしまいます。どうやらアメリカに2000店舗以上もあるみたいなんでアメリカにいる人は是非。

 

 

 

 

 

文化的マイノリティとか最近のこととか

僕は生まれてから23年ずっと日本で育ち、なんなら大学に入るまで本州すら出たことも無いドメスティックな人間だった。そんな僕が渡米すると、超え難い文化の壁だとかマイノリティだとか今まで考えもしなかった事をよく考えるようになった。どちらかと言うと考えざるを得ない状況になったと言ったほうがいい。

僕の居る所は一風変わった環境だと言えるだろう。 

僕は今アメリカの大学院の工学系の研究室に所属しており、ここではあから様に中華系が多いのである。メンバーはおそらく30人程度だろうか、もちろん日本人は僕一人だけで、欧米人(という言い方で良いのだろうか。)も数少ない、半分以上は中国・台湾からの学生である。特にこの傾向は上に行くほど顕著であって、学部生や修士はさておき、グループのボス2人を筆頭に、ポスドク、phDで見ると8,9割が中華圏の方々である。


彼らの何が凄いかというと、アメリカだというのに数で圧倒することで英会話も拙いような学生でもそのコミュニティに属すことで何不自由なく生活が出来てしまうことである。もちろん言語はマンダリン(中国の標準語)である。調度良く人が混ざれば

“お互いに違うけど理解し合おう!”

というよく有りそうな留学美談が成り立つのだろうが、ここではその構成比が極端なせいでそれは成り立たない。兎に角ここでは彼らがマジョリティで僕がマイノリティなのである。

 

彼らは常日頃から僕の手前でも平気で中国語で会話を行う。もちろん僕が何かを英語で問いかければ英語で返してくれる。その返答も人によってまちまちで流暢に喋れる人もいれば本当に英語でのコミュニケーションを取るのに苦労する人もいる。しかし彼らの語学力云々ではなく、重要なのは用件がない限り僕の分かる言葉で会話をしないということだ。特にしょうもない冗談や雑談の類のコミュニケーションが基本的に無いということが決定的に違う。さながら僕は北京にでも留学しているんじゃないかと思ったりする程だ。まぁ北京よりかシアトルの方が空気は澄んでいるが。

勿論彼らは時々ランチに誘ってくれ日本のことについて聞いてくれることがしばしばあり僕も嬉しい。しかし、それは僕が居文化の人間だと認識した上でそれを異色の文化として見ていて、同色になろうという訳では決してない。

 

僕の大学、研究室にも1割に満たない位だろうか留学生が居た。僕は英語の勉強にもなるし、考え方が違って面白いし、なんならいつもちょっと寂しそうにしているとも感じていて、彼らとたまに食事をしたり、会話をしたりしていた。しかし彼らが自分の中で1番に来ることはあまり無く、結局週末に遊ぶ友達は日本人だった気がする。結局自分もマジョリティの中にいる時はそれが心地良く、そこにすっぽり収まっていたというわけだ。留学生は何故か留学生同士で絡んでいるって通説があったけども今思うと至極当然のことだ。日本人には絶対的にマジョリティな日本人コミュニティがあり彼らにはそれが無いわけだから。これも結局立場が違えど同じ原理なんじゃないかと。

僕は折角留学に来ているし、当初はそれ以上の関係性を持ち言語の壁はあろうけども、それを跨ぎ超えて彼らと関わろうと躍起になった。思い返すとさながらドヤ顔で靴を履いたまま畳に上がる外国人だった。

 僕の場合は研究室も然り、シアトルという街自体がアジア人の人口が多くそれぞれの国の人が小さな文化圏コミュニティを作るのに十分な人がいる事もあって、多かれ少なかれ人は同じ文化圏で群れている気がする。最近では僕も色々と思うことはあったが日本人のコミュニティに居る気がするし、結構悪く無いとも感じてしまう。日本人と絡むというのはあまり良く聞こえないかも知れないが、留学先だからこそ細かなグルーピングを飛ばして日本人というだけで共感できるという不思議な空気感もある。ここだからこそ知り合えた人もいるわけで。そして、一人で他の文化圏に突っ込んで拒絶されるという失敗を通して、僕も日本人を数人誘って、相手の人らも数人同じコミュニティから人を出して飲みに行くと結構上手くいくし楽しい。相手の文化だとかホームに同化しようとせず、自分も他の文化に触れる事を前提に動くことが味噌なのかもしれない。人種っていうどうにも変え難いけどもはっきりと持っている物を改めて感じる事は日本では絶対に無かったことだと思うし、それはそれで1年足らずのうちの生活なら経験として悪くない。

 

 

 日頃思うけども、僕のブログはなんともネガティブな投稿が多い気がする。けどもそれは割と客観的に書くからワッと高ぶる感情が表に出てこないだけであって、留学生活が作る特殊な時間を肌で感じているし、それを差異としてそれなりに楽しんで考える材料位には昇華できていると思う。

 あとは文章で残すには及ばない(or 書くようなことじゃない) しょうもない糞な経験や、個人的に面白い、嬉しい出来事だとか諸々あったりする。飲みに行ったら2件目くらいまでは話せる事が有る気がしている。また3件目からしか語れない事もある。結局そういうのが主なんで、淡々と書く内容な重くなりがちなわけで、まぁ何が言いたいかというと僕はメンヘラの類じゃないから糞長い投稿にドン引きしないで欲しいという一点である。

 

最近のシアトルはあまり雨も降らなくなったし、神戸から移植されたという桜が咲き、空も高く透き通っている。雨ばかり降っていた半年とはガラッと変わりシアトルの夏の良さが語られる理由がわかってきた気がする。

 

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マウントレーニアがセンターに来るように中心通りが作られていてなんともいい眺め。僕のラボは奥の池の近辺。

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花見気分を味わえたのは予想外にテンションが上がる!キャンパスはほんとに綺麗っすよUW!

 

あとは忘れもしないこのブログの初稿で書いた、僕が研究室でデスクを貰えなかった件だが、自分がついていたグループのボス的な学生が遂に6年間の博士生活を終えて先週卒業していき、彼が使っていたデスクを譲ってもらえる運びになった。。。。

のだけど、デスクスペースを貰った、というよりコンパートメントで区切られた部屋が貰えた笑

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広い!広すぎる。6畳くらいだけどw

冷蔵庫とやかんも譲ってもらった、もう生活できるじゃんか!(ほぼしてる)

 

それと同時に自分が属する小さなリサーチグループには後輩も入ってきて、自分の部屋にプレゼンを見せに来る。あーだこーだアドバイス?的な事をしているとなんか偉い良い気分に見まわれて自惚れていたりするw

 

まぁ、最近はこんな感じです。

 

P.S. ぼちぼち帰国の目処が見えてきた気がするけども、僕はそれなりにアメリカでの生活を気に入っていて、もう少し長くこっちに居ようと画策してます。けれども、シアトルでの生活には大分満足してしまっていることもあって、おそらく7月以降はカリフォルニア近辺で下働きか何かをしている。(していたい)ので、また新しい生活が始まりそうです。そこら辺にその時期にカリフォルニアに居る人は宜しく。