Trees_of_Spring

2015/9~アメリカの大学院への留学を機にブログ開設しました。2016/6~9サンフランシスコでスタートアップでエンジニア、帰国後、院生活を終えて2018~働いています。個人的なことメイン。何かあればどうぞ→Mail: tut.it.mus1c[あっと]じーめーるどっとこむ

Goodbye Seattle.

今朝、僕は30kg弱のスーツケース2個とバックパックを2つ、前と後ろに背負って、ぶっ壊れそうな肩に力を入れて荷物を運び古びた列車に乗った。その列車はシアトルからアメリカ西海岸を縦断し南はロサンゼルスまでを36時間かけて走る古い鉄道である。値段で言えば飛行機と比べても差して安くない。けれども目的地のサンフランシスコまで約23時間、とろとろと走る車内で去る地の思い出に耽り、新天地での新しい生活を想像するには丁度良い時間にも思えた。
 
実際に乗ってみると結構悪く無い。日本の鉄道と比べると比較にならないほどでかい車内は窓も大きく景色も広いだけでなく、レストランまでも備わっている。シートも足を伸ばしても前に届かないくらいはあっていい感じだ。丁度深夜1時、殆どの乗客が寝静った頃に展望デッキに出てきてみる。なんとも良い静かさだ。暇だからシアトルで考えてたことをまとめてみる。
 
延々と続くような感覚があった留学生活も気が付けば昨日で終わってしまった。
今振り返ってみると、絵に描くような順風満帆な生活ではなく大分研究だとか勉強に時間を取られてしまった。けれども、個人的にはとても濃い9か月だった。
 
原点に戻って留学の志望動機書を見てみると
研究を頑張りたい、専門的な仕事をこなせるように、細かなコミュニケーションが取れるように語学力を身に着ける、アメリカで働くことを考えてみる、、、等々。
 
中々に偉そうなことを書いていた。もちろん嘘を言っていた訳じゃないけども、もっと根底にあったのは海外で暮らしてそこでの生活を考えてみたいって原動力だったきがする。そのうえでの形がそれらの目的だった。それにぼくみたいな貧乏は合理的な理由を言葉にして奨学金を投資してもらう必要もあった。
自分で言うのも何だけれども、こうやって箇条書きで挙げた項目は大方大学の講義なら単位は来る程度にこなせた自負がある。
よしよし、それなりに研究もして英語もそこそこ喋れるようになった。
 
…はて、それで良いものか。何か腑に落ちない。こう考えてしまう。
 
そりゃあ1年もかければ何かしら纏まったことができるし、じゃあ自分が払った代償と得られたものって本当に見合っていたのか。と。
 
具体的には時間と金だ。
 
まずは時間。僕はお陰で1年ほど学生を長くやることになってしまった。留学せずにそのまま大学院に通っていれば今頃あわよくばどこかの会社に入ることになっていて、来年度からは遂に社会人になっていただろう。先日大学の同期が内定したって話をしばしば聞いて、みんなすげぇなと思うと同時に本当に1年遅れるんだと実感が湧いた。
 
そしてお金。奨学金や親から、はたまたアルバイトで稼いだお金。。。出元は何にせよ生きていくには金がかかる。殊に海外では。おそらく僕はアメリカで毎月15万円程度の出費をする生活を9ヶ月ほど続けたし、航空券の代金も考えると軽く100万円以上の出費をしているという事実がある。皮算用ではあるけども、在学延長しなければ大学の学費も浮いて社会人としての収入も1年分得られていたことにもなる。時は金なりって奴だ。
 
さて、これだけ大枚を叩いてアメリカに来る意味があったのか考えてみたい。
 
残念ながら、必ずしも全てにその必要があったかというとそうでも無い気がする。
 
例えばの話だけれども、研究に精を出すとか、語学の勉強をするというのは形は違えど日本でやることもできた。むしろ研究単体で言えば、語学が壁になって意思疎通が難しい場面があったことを考えると、日本で母国語で研究ができる環境でやった方が効率は全然良かったとも言える。
 
その一方でアメリカに来たからこそ得られたものもある。何と言っても自分の母国語が全く通じない環境だとか、自分が外国人として仕事を進めることは日本では得難い。またボスキャリあたりを糸口に、アメリカでの仕事を知って、こっちで働くというオプションを身を以て知れたことも来たからこそだと思う。
 
じゃあもっとアメリカに来る前に研究もしっかりやって勉強もして、語学も身に着けて来れば、費用対効果をあげることができたじゃないか。なんてそんなものは捕らぬ狸の皮算用であって、いくらでも考えることができるし終わったことに対してそれが実現することはない。全部セットでこれが僕の得ることができた最大の費用対効果という訳だ。
 
けれど、ここまでコストだとかそれに対する成果について言っておいてあれだが、実感としてこれらの目に見えるものは留学中に得られたことのなかでの大部分だったかというとそうでもない。
 
個人的な大きな収穫は、自由で外からのノイズが限りなく少ない環境に身を置けたことだ。
 
なんとなく工学系の勉強はしたいと思って入った大学だったけれど、特に目立ってやりたいこともなく何も考えていなかった。そんな自分でさえちゃんと大学の必修科目をそこそこの成績で取って大学院に入って、周りと同じように生活していればなんとなく人生が進んでいる感じがした。そんな僕が1年休学して大学院に留学した当初特に辛かったことは足並みをそろえる対象がいなかったことだ。もともと東工大からワシントン大学への留学は枠が1人しかおらず大学からの同期は居なかったし、留学先の学科全体で見ても僕のような留学生の立場は僕だけだった。それゆえに、僕にはこのくらい単位を取るべきとか、このくらい勉強するべき、または周りはこの位やっているからといういつもの参照するものが全くなかった。これがひどく疲れた。自由って良い表現として使われるけど案外僕(ら)は自由を与えられると困るほどにはレールの上を走っているのだと知った。一度それを外れると時に早すぎたり、時に遅すぎたりとそれをコントロールすることは意外にも難しかった。こんなもんだろうと片づけた宿題の出来が非常に悪かったこともあれば、必要だとおもった実験を徹夜でこなして体調を崩したりだとか、トライアンドエラーを通して自由のなかでうまく自分をコントロールしていった。今では少しは自分で考えて自分の行動を決められるようになった気がする。
 
また今まで生きていて味わうことのなかった様な苦い経験なんかもあって、それに対してたまに休んだりリラックスする時間を設けて自分の中で対処するような習慣もつけられたのは個人的に良いことだった。僕は嵌り込むと休憩するのが苦手なタイプだ。それでも日本では家族とか友達が構ってくれたから自分で限界に達することが無かったからやってこれたのだと思う。
 
そして、日本から遠く離れたところで生活することで良くも悪くもあまり日本のニュースや本来結構な悩みになり得た就活の話題から逸れることができた。僕は典型的な意思が弱い人間なので、人の価値観を鵜呑みにするような節があった。そんなノイズともいえる周りからの情報が消されたお陰でゆっくり自分が今までやってきたことだとかこれから数十年先まで何がしたいのかよく考えることができたし、物事に対して自分で考える時間がよく取れたと思っている。考える材料としてアメリカで色々な人やその価値観に触れられたことはいい機会だった。
所謂企業が求めるとか言われているグローバルだとか多様性だとかいう語彙はこういう考え方を頭の隅に持っていることを言うのだろうか。よくわからないけども、語感だけだととても安く聞こえるし、外向けにそんな言葉で自分の感じたことを成果として安売りしたくないと思う。
 
結局はっきりと目に見える成果なんてものは小さなもので、大きなものは考え方とかいう曖昧なものだった。もちろん留学をサポートしてもらった人たちに形として成果を求められれば研究の話だとか、語学の能力だとか、どうにか言葉にしうるけども、生の体験は到底そんな陳腐な語彙では表せないし自分に言い聞かせる為に言葉にする必要はない位には自分でよく理解できている。(と思っている)
 
結局払った対価に対して得られたものが有効だったかどうかというと、今でも良くわからないのが正直なところだ。もちろん定量的に見れる部分ではそれなりにやったつもりだ。けれども評価しにくい部分で明らかに外に出なければわからなったことはあるし、それは割と大きな気づきだったと思う。考え方に対して値段は付けられないという何とも曖昧な逃げであるけども、それらがきっと後の役に立つことを信じてこの9か月に意義があったとしておこう。
 
何が言いたいのか良くわからなくなってしまったけども、こんな留学だった。研究はブログに書いても詰まらないし、折角なので論文に纏めてどこかのジャーナルに投稿しようと思っているので割愛する。
 
さて、夜も明けて列車も暫くしたら到着しそうだ。ここからもう2か月、カリフォルニアに移って新しい生活を始めることにしよう。
 
June 20th